宇宙のような様子から夕陽へと、様々に姿を変える風景が映し出される、終点。そこに僕達はいた。
ステージの中央には大きな扉があり、この扉は僕らファイターの、元々いた世界へと繋がる大事な扉で、必要な時にしか現れない。そして、今その扉を見上げているのは、僕がこの世界で出会った大切な友達……リュカだ。
「ここまで見送ってくれて、ありがとう」
そう言って、僕の方を振り返って、ほほえむ。
今日、これから、リュカは、元の世界に帰らなければならない。その話を知ったのは昨日のことだった。この世界は近いうちに新しいものへと変わる。新しい世界への招待を、リュカは断ったらしい。元の世界で待っている人と、やらなければいけないことがあるからって。
行っちゃヤダよ。そんな言葉は飲み込んで、でも最後まで一緒にいたかったから、僕はマスターハンドにせめて見送りぐらいさせてよ、なんて言ったら「君達は仲が良かったからね、良いよ」と快諾してくれたのだ。
そうして今に至る。
この世界に呼ばれた僕達ファイターというのは、少し特別らしい。この世界のいきものは皆フィギュアだから、僕達の体もフィギュアでならなければならない。だから、この世界の神様――マスターハンドは、僕達の世界から魂だとか、そういう中身だけをこの世界に持ってきて、フィギュアの体に容れているんだって。元々の体は、それぞれ元の世界で安全な場所に置かれている。その話を聞いたときは、自分がかつて地球を救う冒険に出た、その果てを思い出した。過去へ遡るために、自分の身体を捨ててロボットの身体へと自分のスピリット、魂を移したんだ。あれと同じようなものなのかなって。
「それじゃあ、またね」
「うん、また。」
扉がギィ、と大きな音を立てて開く。リュカは再び扉と向き合って、深呼吸すると、体が眩しく輝く。眩しさに目をつむってしまう。
最後に少しだけ触れたくて、手を伸ばした。だけどあんまりにも眩しいから、なのかな。一瞬だけ意識が飛んでしまったような感じがして。
はっと気づいて瞼を開けた時には、リュカはフィギュアの姿に戻っていた。扉も閉まっている。
フィギュアという体だけを残して、元の世界へと、リュカは帰って行った。
それから数日が過ぎた。僕達はマスターハンドが新しく作った世界に移って、大乱闘をしたり、それを観戦していたりと、世界は変わっても今までと変わらない生活を過ごしていた。丁度乱闘も終わったところで、僕達は一緒に参加していたメンバーと控室から出て、食堂へと向かっていた。
「あーあ、あそこでスマッシュボールを取られなければなあ」
「運も実力のうち、ってよく言うでしょ?」
「それにしても、いつ見てもネスの魔法は凄いね。魔道書も無いのに」
僕を真ん中に3列で歩く。虫取り網を片手に、不満げな様子なのは新しく参戦したむらびと。僕と同じくらいの背丈をしているけれど、本人曰く、僕よりいくつか年上だとか、でも年齢は秘密らしい。反対側で分厚い本をぱらぱらと捲っているのが、同じく新しく参戦したルフレ。マルスやアイクと同じ世界からやって来たらしくて、マルスの事も知っていた。僕みたいに炎や雷を使えるけど、この手に持っている本――魔道書というらしい――が必要なんだって。
「マホウじゃないの。PSIっていうんだ。前いた世界ではね、僕以外にもう一人使える子がいたんだよ」
「前にも話していた子かい?」
「うん。リュカっていってね。僕やむらびとぐらいの背の高さで、ピーチ姫みたいなふわふわした金髪の男の子なんだ」
僕の大事な大事な友達。話している僕が何だか得意げになっちゃった。そんな話をしていたらいつの間にか食堂へと着いていた。中から騒ぐ声がする。ここには大食らいも多いから、メニューの事で揉めていたりしてるのかな? そんな呑気な事を考えていて。
三人の中で一番背の高かったルフレは、食堂の奥の方にいる騒ぎの元凶が見えたらしい。怪訝そうに顔をしかめて、僕の顔を見て、言った。
「ねえ、ネス。君のさっきの言葉、間違っていないなら」
「何のこと?」
「あそこにいるのはそのリュカじゃないかな。」
……え?
まさかそんな、噂をすればとやらなのか。ルフレが嘘をつくとは思えない。隣でむらびとが、僕にもよく見えないなー、と首を傾けている。そのまま確認をするように、そのリュカが居るらしい食堂の奥の方へ。僕は呆気にとられたまま、入口で立ち尽くしていた。
「君は行かなくていいの?」
もしかしたら試合を見に来てくれたのかもしれない。きっとそうだ。意外に早かった再会に少しびっくりしたけれど、嬉しいことじゃないか。
「……そうだね、僕もちょっと見に行って――」
「何するんだよ!!」
ルフレに返そうとした言葉は大きな声で遮られる。聞き覚えのある、だけど聞いたこともないような声だった。
「ゴメンゴメン。僕むらびとって言うんだけどさ、君リュカだよね?」
謝る気があるのかいまいち分からないマイペースなむらびとの声が続けて聞こえる。状況を見ていたルフレ曰く、何も言わずにいきなり、むらびとが手に持っていた虫取り網でリュカの頭を捕まえたらしい。「初めて見たモノって、つい捕まえたくなるクセがあってさー」そんなことを以前彼が言っていたのを思い出す。……ちなみに僕もやられた。それは流石にリュカだって怒る。だからあんな荒々しい声だったんだ。そう思ったのに。
「違う。ぼくはリュカじゃない!」
彼はクラウスと名乗った。聞いたことがある。リュカの双子のお兄ちゃん。元気いっぱいなんだよ、と教えてくれたことを思い出す。リュカの姿をしていたのは、双子だからではなくて、この世界に来るために、リュカのフィギュア――つまりこの世界における肉体だ――を借りているからだって。
クラウスから説明を受けながら、本当はどんな姿なんだろうなあ、とか、確かに大人しめのリュカとは全然違うなあ、とか。そんなのんびりした事を考えながら、何とも無いように僕は聞いた。で、何でこっちまで来たの? リュカはそっちで元気でやってる? って。
その瞬間、クラウスは眉をひそめ、嫌なものを見るような目で僕を睨んだ。
「お前、ネスだよな? それを聞きたいのはぼくだ。リュカはどこにいるんだよ!」
……何を言っているの?
「数日前に、クラウス、君のいる世界に帰ったよ?」
「それはあの手袋にも言われた! こっちに帰ってこないから聞いてるんじゃないか!」
どういうこと?
だって、僕はあの時確かに終点で見送った。あの子がフィギュアに戻っていく瞬間を見たはずなのに。イライラして顔を真っ赤に染めたクラウスが、混乱したままの僕の胸ぐらを掴もうとしたのを、ルフレが止めた。
「落ち着いて、クラウス。僕やむらびとは、世界が新しくなってからここにやってきたけれど……、君のような姿を見たのは今日が初めてなんだ」
「じゃあ、ここにもいないって事?」
「それは、分からない」
「…………。」
場が静まる。この世界の神様であるマスターハンドですらあの子の居場所が分からないなんて。それが余計に僕を不安にさせた。それと共に、最後に一緒にいたのは自分という事に、重く責任感がのしかかってくる。
――僕が、リュカを、探さなきゃ。
たぶん、きっと。あの子はまだこの世界にいる。それは憶測でしかないのだけれど、妙な自信があったんだ。僕は深呼吸をひとつ。クラウスの目を見た。彼もそれを返して、じいっと見つめ合う。その青い瞳の奥には、不安と、焦りと、苛立ちが浮かんでいて、ゆらゆらと揺れる海のようだった。
「あのさ、クラウス。君は、元の世界に戻って、向こうのリュカの傍にいてあげて」
見つめ合っていたクラウスの目が大きく見開いた。
「……お前はどうするんだよ?」
「僕はこの世界でリュカを探す。きっとね、この世界にいると思うんだ。だから、クラウスはそっちに戻ってきたとき、リュカが目が覚めたとき、隣にいなきゃいけない」
僕もクラウスも、きっと同じ気持ち。早く見つけ出さなきゃ。でも焦っちゃいけないんだ。それぞれがやるべきことをやらなきゃいけない。
クラウスは、少しの間考え込むように目を閉じた。それからぱっ、と開いて、僕をもう一度見つめた。
「必ず、あいつを見つけるんだぞ」
「……オーケー。」
クラウスが帰った後に、僕はマスターハンドの元を訪ねた。名前を呼ぶと、大きな手が、ふっとその場に現れる。
「どうしたんだ、ネス?」
「どうしたじゃないよ。どうして僕にリュカのこと、教えてくれなかったの?」
最初に神様にぶつけたのは文句の一言だった。見送りを許してくれたのに、居なくなったことは教えてくれなかったなんて、酷いじゃないか。マスターハンドは、その大きな指の平で、帽子越しに僕の頭をそっと撫でながらすまない、と謝罪する。
「君を不安にさせてしまうんじゃないかって、言い辛くてね」
「だからって、そんな! 今日いきなりあの姿のクラウスが現れて余計びっくりしたんだからね!?」
「あの子がどうしてもこちらに行きたいと駄々をこねてな。目立ちにくいかと思ってリュカのフィギュアを提供したのだ。……似た性質の魂というのは、フィギュアに定着しやすいからね」
「ふーん……」
僕を宥めるように言うけれど、決してリュカが何処にいるのかは言おうとしないマスターハンド。この神様だって知らないのは分かっているけど、やっぱり聞きたくなってしまうのだ。でも、それを口に出す前に、まるでテレパシーで僕の心を読んだみたいに、マスターハンド自らが答えた。
「残念だけれど、リュカが行方は未だに分からない。ただ……」
けれど、それは引っ掛かりのある言葉で。
「ただ?」
「一つ、気になる点がある。彼の魂が元の世界に戻っていないと分かった以上、おそらくこちらの世界にまだ留まっているのだろう。ならば、心当たりが無い訳ではない。しかし、そこに彼が居るのだという確証もないのだ」
「じゃあ、その心当たりを探してみればいいんじゃないの?」
「それが出来れば良いのだが……」
難しいってことか。むう、とマスターハンドは唸っている。「心当たり」が何なんだか、僕には分からないけれど、それを言おうとしないってことは、言えないのかな。深く詮索はしない方がいいと思って、僕はこれ以上聞くのをやめた。リュカはまだこの世界にいる、僕の勘は当たっていたのだと分かったことだけでも嬉しい。早く見つけ出して、会いたい。そして、クラウスの元へ返してあげなきゃ。
「ありがと、マスターハンド。僕も、リュカを探してみるね」
「こちらも一刻も早く見つけられるよう、色々当たるとするよ」
僕はぺこりと頭を下げて、マスターハンドが居るこの部屋を出て行った。
ゆらゆらと揺れる感覚に包まれて、僕の意識が浮上していく。
目の前に広がった光景は、真っ暗な中に淡い光が差し込む、海の中のようだった。僕はそれを見ているだけで、周りのものに触れることはできない。例えるなら、潜水艦の中にいるような。
けれど、魚や水中の生き物なんて居なくて、僕はただ揺れ動く水面を見上げていた。あの上は何があるんだろうか。きらきらと光る水面は、ゆっくりと僕の心を落ち着かせていく。あたたかくて、心地よい。それでいて、何だか懐かしいような感覚だった。
その時。黒い影が水面に映し出されたかと思えば、どぼん、と大きな音を立てて、僕の目の前に現れたそれ。
(リュカ!?)
固く目を閉じて、ゆっくりと海の底へ沈んで行こうとするリュカの姿だった。今日、ずっと探していた彼が今目の前にいる。手を伸ばそうとするけど――手の感覚なんてなかった。身体もない、今ここにあるのは僕の意識だけで、沈んでゆくリュカを抱き留めることなんて出来ずに、ただただ、その光景を見ていることしか出来なかった。
ねえ、どこに行くの? 皆探しているよ、行かないで。伝えたい言葉すらも声に出せない自分の無力さが苦しかった。テレパシーなら伝わるんじゃないか。姿が見えなくなる前に、心の中でもう一度名前を呼んだ。
(――リュカ!!)
(ネス……?)
僕の名を呼ぶ声が聴こえた。リュカの瞼はうっすらと開いて、一瞬、目が合う。もう一度名前を呼んだけれど、返事はなくて、もう、リュカの姿は見えなくなっていた。
「待って、行かないでよ……っ!」
「ん、ネス、どうしたのー?」
「あれ? むらびと……。ここは、僕の部屋?」
「何寝ぼけてるのさ。もう朝だよー」
朝ごはん無くなっちゃうから、早く来なよ、と言いながら部屋を出ていくむらびとを横目で見ながら、先程の光景が夢であったと気付く。昨日はいろいろあったから。だからあんな夢を見ちゃったんだ。
今回の件の事は、昨日この場所でクラウスに会った僕とむらびと、ルフレ。それからリュカと仲の良かった何人かにしか知らされていない。大事にはしたくないとの事だった。昨日のマスターハンドの言葉を思い出すと、心の中に雲がかかったような、モヤモヤとして、すっきりしないものがあったけれど。僕は僕のやり方でリュカを見つけてみせる。半ば使命感のようなものが、僕を動かしていた。
寝坊気味だったために人が少なくなった食堂で、黙々と朝食のオムレツ――これを食べていると、余計あの子を思い出しちゃうよ――を食べていると、テーブルの向かい側の椅子が引く音がした。
「おはよう、ネス」
椅子に座る、その一連の動作だけでも気品を感じさせるのはやっぱり王子様だからだろうなあ、ニコニコと微笑みながらマルスが挨拶し、僕もそれを返す。
「ん、マルス、おはよ」
「ルフレから聞いちゃった。色々大変だって」
この人も寝坊なのかな。トーストにバターを塗って、ひとかじり。ルフレ、何教えちゃってるのさ。マルスも悪い人じゃないからいいけど。
「まあ、ね。早く見つけなきゃ……マルスは、知らないよね?」
「うーん、僕には見当もつかないや」
トースト片手に、考え込むように瞳を閉じる。少しして、「あっ」と声を上げた。
「そういえば、ネスは、リュカの見送りに行ったんだったね」
僕は食べながらだったので、スプーンを咥えながら、うん、と頷く。……この人と一緒にご飯食べてると、僕のマナーの悪さが露呈して何だか恥ずかしいなあ。でもそれを注意せず――それとも気にしていないのか――にいてくれるマルスは何だかんだ、優しい。
「僕もロイのときは見送りに行ったんだよ。同じ世界の友人だったからね。でもあの時は、ちゃんと元の世界に帰ることはできていたし、何も問題は無かったからなあ。参考になるかと思ったけど、そうでもないか」
残念、と頭を下げる。そっか、マルスも一度大切な友達とお別れしていたんだ。寂しく、なかったのかな。懐かしそうに思い出していたようだった。
「やっぱり終点で見送ったの?」
「そうだ。あそこは色んな世界に通じる扉があるらしいからね。あの日ロイがフィギュアに戻って、魂が扉の向こうに帰っていくのを見たよ」
やっぱりみんなそうなんだ。僕もあの日終点でリュカを見送ったときも……あれ?
「ところでネスは、今日第一試合じゃあなかったかい?」
「え? あっ、ホントだ!」
時計を見ればもう開始時間の十分前だった。遅刻してしまう。この世界にいる以上は乱闘への参加は義務みたいなものだから。急がなきゃ!
「ごめんっ、マルス、これ片づけといて!」
食べ終わった食器をテーブルに放置したまま、処理を任せて、僕は慌てて食堂を後にした。
事件が発覚して、二、三日程経っただろうか。まだ、リュカは見つからない。
そもそもあの日クラウスに言われるまでは知りもしなかったことなんだから、ひょっこり現れるなんて、そんな簡単な事でもないんだろうけれど。
この件を知っているファイターの皆は、リュカ自身の心配はもとより、僕自身にも気を遣っているようで、「早く見つかるといいね」と、会うたびに言われてしまう。どうやら周りからは僕とリュカの仲は非常に親密に見えていたらしい。それはもちろん事実。リュカは大好きで大事な友達! だけれど、実は、それだけじゃない、特別な繋がりもあった。
僕が、僕の世界で友達にやってきたこと。その結果がリュカにもたらしたもの。その事実を初めて知ったとき、僕は自分が地の底にいるような、深い恐怖を感じて。リュカに「ごめん、ごめんね」と、何度も頭を下げた。涙も流した。神様に許しを請うようで、でも許されるようなことなんかじゃないって。
あの時、僕はきっと、自分の罪が怖かったんじゃない。リュカに嫌われるんじゃないかって、それだけが怖かったんだ。でもリュカは怒ったりなんかしなかった。少しだけ悲しそうに目を伏せて、それから僕をぎゅっと抱きしめてくれた。
「謝らないで。泣いちゃダメだよ。ぼくは友達が悲しむ顔なんて見たくないもの」
その時は、ポカポカとしたリュカの暖かい気持ちが僕に伝わってきて。――僕は君に出会えて、友達になれて本当に嬉しいなあ――そんな事を思ったんだ。
真夜中、皆が寝静まった頃。
妙に寝付けなかった僕は、同室の人達を起こさないようにしながら、そっと部屋を出て行った。どこに行く当てもないけれど、夜風にあたってみたくなって。廊下から外を眺めてみると、中庭のあたりで何かが眩しく輝いている。こんな時間に一体なんだろう? 好奇心に動かされるまま、足は中庭の方へ向かっていった。
もしかしたら、あの光が……、そんなひとすじの希望も少しあった。
しかし、いざ近くでそれを見た時に、そんな希望もがらがらと、大きな音を立てながら雪崩みたいに崩れ去っていってしまった。
「あれっ、ネス、どうしたんだい? こんな時間に」
「それはこっちの台詞でもあるんだけど、ルフレ。光が見えたから何かと思って来たらこんな時間に何やってるのさ」
眩しい光は、ルフレの魔道書から放たれるサンダーの光だったんだ。攻めるわけじゃないんだけど。少しがっかり。そんな僕の心情もお構いなしに、ルフレは本を閉じて、言葉を続ける。
「今日の昼に女性の方の僕に負けたのが悔しくてね。『魔道書の使い方が甘いんじゃないですか?』なんて言われちゃったら、もう、彼女が見ていないこんな時間に特訓するしかないなあ、って思って。こんな夜じゃあ、眩しかったかい?」
「別にいいけど……」
ルフレはもう一人、同じ名前、同じ格好の女の人のルフレがいる。何もかも同じだから、少し対抗意識があるみたい。だからこんな時間に特訓なんてしてたんだ。
再び魔道書を開いて特訓でも再開するのかと思いきや、「そうだ」と呟いて、僕を見つめる。肩を掴む。あっ、何だか嫌な予感がするぞ。すごく、目が輝いてる。
「ネス! 折角良いところに来てくれたんだ。君の魔法……いや、PSIだっけ? 見せてくれないかな。きっと、いや間違いなく参考にできると思うんだ!」
嫌な予感は的中。的のぴったりど真ん中。ルフレは決して悪い人じゃないし僕も仲は良いのだけれど、手を合わせて、頭まで下げられちゃって、こうなったら断るのは難しいだろうなあ。外のひんやりした空気に当たったら、いい感じに眠気もやって来たのに。
「……うん。でも、一回だけだからね?」
早く終わらせちゃえばいいよね。雷や炎の方がいいかなあ。そんな事をぼんやり考えながらPSIを放つ。夜の暗い空に、僕の放った淡い光がきらきらと輝く。我ながら、中々綺麗。こんなもんでいいよね。ルフレも満足そうだし。
「やっぱり凄いよ。単純に打ち出すだけじゃなくて、形状や軌道を変える……。そういった工夫が必要なんだなあ」
「そ、そう。僕もう部屋に戻るね」
そう言って僕はそそくさとその場を立ち去ろうとする。
「うん、ネスに頼んで良かったよ。ありがとう。ところで……」
まだ何かあるんだろうか。うつらうつらとしていたし、申し訳ないと思いながらも、僕はルフレの言葉は聞き流すつもりだった。それなのに。
「君は氷のPSIも使えるんだね。初めて見たから驚いたけど、ありがとう。じゃあ、おやすみ」
部屋に戻って、ベッドに潜るとすぐ僕は寝てしまった。けれど、ルフレが最後に僕に言った言葉が、ずっと頭の中でぐるぐると回り続けていた。
(氷って、PKフリーズ? どうして、僕が……?)
翌日。僕はとあるファイターの元を訪ねた。一つの可能性を考えて。
「ルカリオ、いる?」
昨夜も訪れた中庭の中心に生えている大きな木は、中庭のシンボル的な存在だ。それを見上げれば、器用に枝の上で寝ているポケモンがいた。名前を呼ぶ前に僕に気づいて、目は覚めていたみたいだけれど。
「貴方が私を訪ねてくるとは、珍しい」
「『はどう』ポケモンの君に、確認してほしいんだ」
ルカリオは音も立てずに飛び降りて、僕の前に着地する。何を、とは言わないのに、僕の目をじっと見つめて、それから自分の目を伏せた。きっと分かっているんだろう。ルカリオは聡いから。
波導。生き物ひとりひとりが持っていて、人の目には見えないもの。はどうポケモンのルカリオはそれを察知し、感じ取ることができると、以前にポケモントレーナーから教えられた。それによって個々を判断し、善悪すら見分けることができるとも聞く。
昨夜、ルフレに言われた言葉。僕が氷のPSIを使えると。
あの時は、寝ぼけていたから自分が何を出していたかも考えてなかった。きっと、それは無意識のうちに出していたのだろう。でも僕が仲間から教えてもらって、使うことができるのは炎や雷なのだ。じゃあ、その氷が僕自身のPSIじゃあなかったら?
伏せられていたルカリオの目が開く。
どくん、どくんと心臓が早鐘を打っているのが聞こえる。申し訳なさそうに軽く僕から目を逸らして、彼はこう言った。
「実を言えば、貴方の波導を確認して欲しいというのは……先日、マスターハンドに言われていました」
「え……?」
――それって、つまり。
「ただし、貴方自身から私を訪ねた時にして欲しいとも言われていたのです。そして今日、貴方が来た。自ら来たという事は、もうお分かりでしょうが、貴方の中に、貴方以外の波導が見えたのです」
「それは、さ。リュカ、だよね?」
ルカリオは、何も言わずに頷いた。
「……そっか。僕だったんだ」
どうして、という疑問よりも、やっぱり、という納得の気持ちの方が大きかった。僕が、リュカを僕の中に閉じ込めた。だから元の世界に帰れなかった。そんな、単純な事だったんだ。なんて、ばかな事をしているんだろうか。自分がいやになって、自嘲気味に、笑う事しかできなかった。
そんな僕の、心臓のあたりを、ルカリオがトン、と軽く触れた。
「確かに、この中にあの者がいます。けれど、それは貴方が望んでやった事ですか?」
ルカリオの言葉に、自分自身を追い詰めていた意識が覚醒する。そうだ。自分はどうしてこんな事をしたのか。そもそも、いつ自分がやったのか、それすら自覚していない。
「分からない……。こんな事ってしちゃ駄目だって分かってる。だから、何で自分がこんな事をしているのか、分からないんだよ」
どの自分が本当の自分なのか、ぐちゃぐちゃになって分からなくなってる。地面にはぽつぽつと濡れた痕があって、いつの間に、泣いてたんだろう。目元にたっぷりと浮かべていた僕の涙を拭ってくれたのはルカリオの手だった。
「顔を上げてください。自分の心が分からないというのなら、自分の心の中を見てみればいい。貴方にはそれが出来るのでしょう? 自分の心と向き合えば、きっと彼に会える。マスターハンドは言っていました」
直前、手を伸ばされて。
その時、ネスは笑ってた。ひどく歪で、今まで見たこともない表情だった。
次の瞬間、ふっと意識が沈んで……。
再び意識が浮かび上がると、目の前の光景は終点でも、タツマイリ村でもない、ぼくの知らない景色と、目の前には、人の形を模して、二本のツノを生やした、不思議な像があったんだ。
「ここは……どこ?」
空の色が、地面の色が、様々に変化していくヘンテコな世界が広がっていた。その色は先ほどから暗く薄暗いものばかりで、それと相反するように、目の前の像は眩しく、怪しく金色に輝いていて、この世界に似つかわしくないものだった。イヤな感じがするそれをじっと見ていたら、途端その像から声が聴こえた。
「メガサメタカ、リュカ」
「っ!? どうして、ぼくの名前を……」
その声は、像らしくと言うべきか、無機質に響きわたる声で、何故だかぼくの名前まで知っていて、淡々と言葉を続けていく。
「ワタシハ、ネスノアクマ。ネスノココロノナカノ、ジャアク」
心の中の、邪悪……?
突然その像は光り輝いて、そして次には、ぼくのよく知っている姿に変わっていた。それは、ニコニコというより、ニヤニヤ。そんな表現の方が似合うだろう。意識が沈む前に見た、あの時のネスそっくりの笑みを、ネスそっくりの姿で浮かべていて。本能的に危機感を感じて、後退する。
「やだなあ、逃げないでよ。この姿なら分かりやすいでしょ?」
声までもがネスそっくりに変わったそれは、逃がさまいとぼくの腕を掴む。氷のように冷たい。振りほどこうとするけれど、見えない鎖で縛られているみたいに放すことが出来ない。
「君は、何? ここは一体どこなの、ぼくはどうしてこんな所に……」
「そんな一度に質問しないでってば。ちゃんと、教えてあげるよ」
ぼくが彼から逃れるのを諦めたのに気付いたからか、機嫌良さそうに話をはじめた。
「ここは、ネスの心の中の世界なのさ。そして僕はその奥底に隠された、悪い部分……言ったでしょ? 僕は、ネスの『あくま』だって」
「ネスのあくま……、悪い心……」
「そう。そして、リュカ。元の世界に帰るべき君を引き留めて、この世界に引き込んだのも僕だ。だから君はここにいるんだ。分かった?」
言われたことは、理解できた。けど、ぼくが聞きたいのはそうじゃない。どうして、ぼくがこの心の中に連れてこられたのか。
「うんうん、納得いかない顔してるよね。でも、僕の心はネス自身の心なんだよ? 君と離れたくない、その気持ちが僕を動かしたんだ」
「ネスが、そんな事するわけ……!」
いつだってネスは、ヒーローみたいで、明るくて太陽みたいに笑ってた。ぼくが苦しいときも、隣にいてくれて、優しくて……。
ぼくが元の世界に帰ることになったって決まったとき、それを話したとき、確かに少し寂しそうな顔はしたけれど。すぐに笑顔を見せて、「離れても僕達、ずっと友達だよ!」そう、約束と握手をしたんだ。
「そんな事言われたって、僕の存在そのものが彼の心の内なんだから、否定しようがないんだよなあ。……でも大丈夫、もうそんな深く考え込む必要はないから」
ふいに、あくまが頑なに放すことのなかったぼくの腕を、ぱっと放した。
次の瞬間。ぼくが先ほどまで立っていた地面が、途端に消えてしまった。その下には暗い空を写した深そうな海が広がっていて。
「……えっ?」
「だって君は、ずっとこの世界に居続けるんだもの」
どぼん。大きな音と水しぶきをあげて、ぼくの身が、そのまま海へ、底へと沈んでいく。
不思議と苦しさは感じられなかった。ただ、また、ゆっくりと意識が遠のいていく。暗いくらい、この中に、いつまでもぼくは居続けるんだろうか、この、ネスの心の中に――……
(――リュカ!!)
どこからともなく、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。その声は先ほどまで聞いていたような冷たい声じゃない、聞きなれているあの明るいネスの声に聞こえて、でも姿なんて見えなくて。どこにいるんだろう、ふわふわした意識の中、一瞬、いるはずのない本当のネスの姿が見えたような、目が合ったような気がして――そこで、ぼくの意識は途切れた。
僕は再び終点へとやって来た。今度こそ、リュカの魂を元の世界に返すために。
だけど、この場にいるのは僕以外にむらびと、ルフレ、ルカリオ、そしてマスターハンド。例の件の、真実を知っている人物だけ。むらびととルフレには、僕から本当の事を教えた。今か行うことで僕に何かあれば、二人に僕を止めてもらおうと思ったから。
ルカリオには僕の波導を監視する役目になってもらうことにした。
「ネス、良いか。君の心の中を見れるのは君自身でしかない。私にできるのは、それまでの手助けをしてやることだけだ。だけど、私は知っているよ。君がかつての冒険で自分自身に打ち勝ったこと、それは君自身の力だということを」
「マスターハンド……」
続いて、ルフレが一歩前に歩み出る。
「僕には、君の気持ちが何となく分かる。だからこそ、君を信じているんだ。友を思う気持ち、その絆は、何にも負けない力になる」
ルフレの黒い瞳が僕をじっと見つめる。そんな緊張の場を崩す――和ますという言い方の方が正しいのかもしれないけれど――のはいつだってむらびと。僕らの横で頭を掻きながらまいったなぁなんて呑気な声がした。
「あれっ、これ僕も何か言わなきゃいけない流れ?」
「いやいやそんな事無いけど」
「僕は皆と違ってスローライフ一直線だからカッコイイこと言えないんだけどさ」
思い出すように、考え込むように、むらびとは言葉を続ける。
「長いこと同じ村で暮らしているとお気に入りの住人とお別れなんかもあるワケ。すごく寂しいし、行かないでーって引き留めるんだけど結局いなくなっちゃうんだよね」
それって、まるで今の僕みたいだ。
「すごいショックで、三日三晩引きこもって村の仕事全然してなくてさ。でも引きこもりもダメだよなあって久しぶりに着替えようと思ったら、その子から貰った服があって。はっとしたら家の中の家具も、その子に貰ったモノとかも多くてね。その時に思ったんだ。今の自分の中には、その子と出会った時の、思い出が沢山詰まってるんだなーって。ネス、君にもそれがあるでしょ? 同じように、リュカも同じことを考えてくれてるんじゃないかな」
「……!」
その言葉を聞いて、すとん、と何かが抜け落ちるような音がして。
心が軽くなったような、そんな感じがしたんだ。僕の様子から感じ取れたのか、ルカリオが僕にそっと声をかける。
「貴方の波導が、先程に比べて透き通って見えます。ただ、その中心は未だに暗く濁っている。更に……リュカの波導が、消えてはいないものの、弱くなってきています」
「何だって!?」
「急いだ方が良さそうだな。ネス、準備は良いか?」
みんな、ありがとう。僕は、リュカだけじゃない、本当に色んな人に支えられて今の僕がいる。それが改めてよく分かったから。もう自分に負けたりなんかしない。赤い野球帽を、ぎゅっとかぶり直す。返事はいつものだ。
「オーケー!」
「……それでは、いくぞ」
マスターハンドが、僕を手の平に乗せる。この世界を創りあげるほどの、強大な力、その一部が僕へと流れ込んでいく。それを受け入れながら、精神を集中させる。己の心を見つめろ。その先、もっともっと奥だ。真っ暗な意識の奥に固く閉ざされた扉。あれだ。自分の力とマスターハンドに借りた力、その両方を持ってして、扉に手をかける。
勢いよく開いた扉の先に、あった。
「あっ、ネス。久しぶりだね。再びマジカントへようこそ!」
「……第一関門は、突破したか」
「これでいいのかい、マスター? ネスは気絶しているように見えるけれど」
「私が出来るのはここまでだ。あとは彼自身が自分の『悪』とどう向き合うか……それだけだ」
久しぶりに訪れたマジカントは、昔と変わらずだった。
真っ黒なウサギに挨拶され、変わる空や地面の色、僕の過去の記憶から作り出された人々。懐かしさがこみ上げてくる。以前と違うのは、何故だか今回はちゃんと服を着ていること。それから最近の記憶のものも増えていたこと。以前の乱闘で見かけたきゅうきょくキマイラまでいた。……ちょっと危ない。いるだけで、噛みついてくることはなかったけれど。
この辺りにリュカの姿は見当たらない。僕の予想からすれば、いるとすればもっと奥だ。時間は多く残されていないはず。懐かしい思い出に浸りたい気持ちを抑え、僕は先へ先へと進んでいく。
襲い掛かってくる不思議なモンスターをバットでなぎ倒しながら、そこへたどり着いた。想像通りならば、そこに「あいつ」がいるだろう。だけど、そこにあった姿は記憶の中の「あいつ」じゃなくて、僕そっくりの姿をしていた。
「久しぶり、僕。思ったより遅かったね」
「やっぱり君の仕業だったんだね。あくま。あの時ここで倒したはずなのに、どうして……」
姿こそ違うものの、感じとれる嫌な気配は、変わっていなかった。だからこその疑問。あの時僕はこの場所でこのあくまと戦って、確かに勝ったはずなのに。
「簡単なことだよ。人の心の『悪』なんて、そう簡単に消えたりなんかしない。君の心の迷いが、また僕を生み出したんだよ」
「心の、迷い?」
「何のことだか分かってるでしょ? リュカ……彼と離れたくない、その迷いだよ。君はそんな迷いを心の底にしまい込んで隠したつもりだったけど、僕はそんなのお構いなしだもの。リュカが僕の傍にいてくれればいい。だから一瞬、君の身体を借りた。リュカの魂を、このマジカントに閉じ込めた。望んでないなんて、言わせないよ? 君は僕で僕は君だ」
反論が、出来なかった。
あくまに言われたことは、確かにその通りで、まるで針でも刺すみたいに、ちくちくと僕の心臓をつついてくるようで。冷汗が頬を流れる。
――それでも。その気持ちはもう捨てるんだ。僕は変われる。背負っていったリュックからバットを取り出し、あくまに突きつける。あくまは一瞬驚いたように目を見開いたけれど、余裕そうに、ふん、と僕を嘲笑った。
「それで僕をどうしようっていうの?」
「君をもう一度倒す。僕は僕の悪に、弱い心に、打ち勝ってみせる」
敵意を込めてあくまを睨みつけた。それでもあくまは怯む様子もない。
「そんなのは、君の強がりでしかない。僕が一番そのことを知ってる……!」
たんっ、と地を踏むような音がしたのと同時。あくまの手のひらが僕の目の前に突き付けられていた。間一髪でかわす。僕の使えるPSIで一番強力な、念動波をぶつける攻撃だった。自分で言うのもナンだけど、あんなもの直撃したらひとたまりもない。
ひとつわかった。あくまも、本気だってこと。
油断なんてする隙もなく、与えられることもなかった。バットで応戦する僕に対して悪魔は獲物を持たず、自らのPSIを駆使して僕に攻撃を仕掛けてくる。情けない話だけれど、僕はマジカントに辿り着くまでにものすごく精神的な力を使った。その反動もあってか、同じようにPSIを使うには精神的な余力が残っていなかった。
だけれど、少しずつ回復はしてきている。こうやって時間稼ぎをして、最後に一発でも大きいのをぶつけてやれればいい。相手が一発でやられちゃうほどのね。それが僕の作戦だった。
お互い一進一退の攻防が続く。僕もこいつも同じ「ネス」なんだから、何もかもが均衡していた。あくまが力の塊を放てば、僕は打ち返してしまうし、僕がバットを振りかぶっても、あくまは瞬時に避け、からぶりー! なのだ。
僕はこの状態が長引けば長引くほど精神的な力は回復していく。しかしあくまはその逆だ。先ほどずっとPSIを使い続けているから、長引いたところで不利にしかならないだろう。そのせいか、少しずつ、表情に焦りが浮かんできているように見えた。
その瞬間のわずかな隙を見逃さない。
「うわっ!!」
剣で突き刺すみたいに、バットの先であくまの腹を思いっきり突く。その力に抗えないまま、あくまは尻餅をつくように転んだ。起きる前に、その上に馬乗りになって、身動きを取らせない。
「……これで終わりだよ、僕のあくま」
僕の指の先がバチバチを光を放つ。それをあくまの首元に近づける。力は十分に回復した。あとは、これをこのまま放てばいい。そうすれば、再びあくまは消滅する。全てが元通りになる……はずだったのに。
「っ、体が……!!」
「甘いんだよ、君は。自分なんだから、自分の使えるPSIぐらい覚えてないとさ」
パラライシス。体を痺れさせて、身動きを封じるもの。僕の体は先ほどから腕を構えたままで、ぴくりとも動かない。馬乗りされた状態のあくまが、僕の下でくすくすと嘲笑っている。見下しているのは僕のはずなのに、何故だか僕が見下されているように思えた。
「君さあ。ここまで来て、僕を倒して、どうするつもりな訳? リュカを連れ出す? 嫌だ嫌だって駄々こねて。いろんな人に迷惑かけてさ。かと思えば悪いのは自分でしたーって、本当ワガママ」
……確かに、あくまの言う通りなのかもしれない。いや、自分が言っているのだから、間違いないんだろう。今回のことで、僕はリュカだけじゃない、そのお兄ちゃんのクラウスや元の世界、それからマスターハンド……数を挙げたらキリがないくらい、たくさんの人達に迷惑をかけてきたんだ。
「僕は、君が嫌いだ。何故だか分かる?」
分かるわけないじゃないか。僕は答えることもできず、口を閉ざしたままだった。
「黙ってないで答えてよ!」
「自分を認めてもらえないから……でしょ?」
僕ではない、思いもよらぬ返答が、背後から聞こえた。その声は聞き覚えのある、懐かしい声で。痺れているせいで振り返ることは出来なかったけれど、それが誰だかなんて考えなくても分かる。
あくまはは信じられないといった気持ちが顔に浮かんでいる。
「どうして……君がここにいるの……」
「海の中の暗い場所にずっといたんだけどね……ネス達の声が聞こえて、ぼくもそこに行かなきゃいけないって強く思ったんだ。そうしたら不思議な人が手を引いてくれて、ここまで連れてきてくれた」
背後の足音が近づいてきて、それから体中を暖かいものが包み込んで……体の痺れはあっという間に消え去った。
「リュカ……!」
「なんだか久しぶりだね。ネス」
立ち上がって振り返る。いつも見ていたふわふわのブロンドはくしゃくしゃで、少しばかりやつれたようで――それは僕のせいなんだろう――いたけど、優しくほほえむ彼は間違いなくリュカだった。
探し求めていた相手との再会に、僕は嬉しくなって、リュカの手をぎゅっと握った。替わらぬ温かさが、僕の手に伝わる。何もかもが懐かしかった。だけど、そんな僕の気持ちとは反対に、リュカは浮かない表情をしていた。その視線の先には、先程まで僕が対峙していたあくまがいて、苦虫を噛み潰したような顔で、僕を睨んでいたのだ。
「どうしてっ、どうして! リュカもそいつばっかり贔屓して……僕の事だってっ」
「うん、ちゃんと見てた。このマジカントの中で、君のことずっと見てたよ」
先ほどの表情を変えないまま、リュカはあくまにそう言った。……正直、リュカが言っていることがよく分からない。僕だけがこの場に取り残されたようで、見えない壁のようなものを感じた。するとリュカに手を引かれ、あくまと向き合う形になった。
「あのね、ネス。ぼくがしばらくこの場所にいて、分かったことがあったんだ。聞いてくれる?」
「……うん」
弱弱しく、だけれどしっかりと意志を持ったリュカのやや高めの声が響く。
「ぼくはね、ここに連れてこられて、あくまに初めて会ったとき、『こんなのネスな訳がない!』って思った。だって、ぼくが見たことのないネスだったから。でも、この場所にいると、ネスの気持ちがたくさん伝わってくるんだ。もちろんあくまの気持ちも。それを受けているうちに、ネスもネスのあくまも、どっちも変わらないネスなんだって分かったんだ」
「でも、こいつは……!」
「自分の弱い心を、認めようとしなかった。悪だと決めつけて、心の奥にしまい込んだ。だから、君はネスがイヤなんだよね?」
僕ははじめからずっと勘違いをしていた。
確かに目の前の僕そっくりのやつは僕のあくまで、倒すべき存在だと思っていた。でもこのあくまは僕の悪い心、それだけじゃなくて。弱い心そのものでもあったんだ。あくまはそれを僕に認めさせようと、戦いながら何度も僕に言葉を投げかけた。僕はそれらに納得しながらも、ずっと否定し続けていた。
リュカが現れなかったら、きっといつまでも同じことを繰り返していたんだと思う。ずっと意地を張り続けて、認めたくなくて、……でも、それじゃダメなんだ。このあくまは、僕がかつてあの時に倒したあくまとは似て非なる存在だった。悪の心として倒すんじゃない。
僕は、右手を挙げる。先ほどまで攻撃するために使おうとした力で、あくまに強力なさいみんじゅつをかけた。不意打ちに躱すことが出来なかったあくまは、急に襲ってきた強い眠気に、膝をつく。
「僕のあくま……いや、僕。ずっと気づかなくてごめん」
「っ、僕ってば、ほんっと、おまぬけなんだから……」
それだけ言うと、がくんと頭を落とした。それを支える。額と額を合わせると、あくまの中に渦巻いていた感情が、僕の中へ流れ込んできた。
――さみしい。いかないで。ぼくといっしょにいてよ。
別離していた感情を受け入れるのは不安と恐怖が少しだけあった。でも今だけはリュカが傍で見ていてくれるから、勇気が湧いたんだ。もう否定はしない。これは僕自身なんだから。
「今まで、ありがとう」
僕がそう小さくつぶやくと、眠っているあくまがの口元がほころんだ気がして、光の粒となって散っていった。
「……消えちゃったの?」
「ううん。ひとつになったんだ」
リュカが心配そうに僕に問いかけた。もう、大丈夫。だけど、ひとつ伝えなきゃいけないことがあって。でも今なら言える。
「ねえ、僕が、どうして弱い心を隠しちゃったか。やっと思い出せたよ。リュカ。君に弱いところを見せたくなかったからだったんだ」
さっきもリュカが言ってたんだ。あくまの僕を見て「見たことがない」って。あれは見たことがなかったんじゃなくて、見せようとしなかったんだ。いつかの時と同じ。弱いところを見せたりして、君に嫌われるのが怖かったんだ。
それは結果的にあくまという存在が生まれてしまったことに繋がって、今は僕の弱さなんてバレバレなんだけどさ。情けない。どうしようもなくって、涙が溢れてきた。空は僕の心を映して、真っ暗だ。
「ごめんっ、ごめんね……リュカ……!」
弱さを隠してた自分は何処へ行ったのか、いや、これが本当の自分なんだろう。泉のように、瞼からは涙が。口からは謝罪の言葉ばかりが溢れ出ていて、止めるすべも分からなかった。
リュカはそんな僕を、抱きしめた。
「ねえネス? 前にもこんなことがあったよね。ぼくは君の気持ちを裏切るかもしれないけれど、ここに来れて良かったなあって思うんだ」
「どうして……?」
「だってネスってば、いつもぼくにカッコイイところばかり見せようとしてたから。カッコよかったけどね。でも最後にこうやって本当の気持ちを知ることができたから、ぼくはすごく嬉しい。ぼくにとってはネスも、ネスのあくまも、大好きな友達だよ」
赤ちゃんにママが子守唄を歌うように、優しく紡がれる言葉に、僕の涙もいつの間にか止まっていた。空の色は明るさを取り戻す。
「……ぼくも、そろそろ元の世界に帰らなきゃ」
「あっ……そっか、そうだよね。やっぱり寂しいな」
素直にそんな気持ちも口から零れる。でもこれだけはどうにもならないから、我慢しなきゃいけないのだけれど。でも、最後にちょっとだけ甘えさせて。離しかけていたリュカの体をもう一度だけ抱きしめる。伝わる体温が心地よい。
「僕は、この世界でリュカに会えて本当に嬉しかった。たくさんのことがあったけど、君との思い出はずっと覚えてるから。ずっと友達だからね!」
「うん、ずーっと友達だよ!」
「なるほど。つまりネスは泣き虫になったって事かあ」
「何でそうなるの!? ってルフレ、メモしないでってば、何その『涙に弱い 玉ねぎ』って意味分かんない!」
食堂に明るい声が響き渡る。その中心は僕にむらびと、ルフレといういつものメンバーだった。
あれから僕は目が覚めて、終点へと戻ってきた。その頃には扉は閉まっていて、マスターハンド達が、確かにリュカの魂が元の世界に帰るのを確認したという。いわゆる一件落着というやつ。まあ、原因は全部僕なんだけど。
それから迷惑かけた皆に謝りに行った。ルカリオにはぽんぽんと頭を撫でられて。むらびとに詳しく教えてほしい、なんていうからお昼ご飯を食べながら説明したら……今こんな状況。
「楽しそうだね。ネス、丁度いいところにいた。君宛だよ」
僕らの所にやってきたマルスが何やら小包と封筒を片手に持っていて、それを机の僕の前に置いて、僕の隣に座る。
「僕に?」
「そう。リュカくんからだよ」
リュカから! 我慢できずにすぐに封を開けて、中に入っている手紙を取り出す。やや小さめの字でこう綴られていた。
『ネスへ。本当はそっちに試合を見に行こうかと思ったけれど、中々忙しくて時間がとれないから、代わりに手紙を書いてみたよ。そっちは相変わらず楽しくやってる? 今度そっちにおじゃました時には、新しい友達を紹介してね。
今ぼくはヒツジの世話をするお仕事をがんばってます。大変だけど楽しいんだ! おかあさんに教わって作ってみたものがあるので、一緒に送るね。たまにこれを見てぼくを思い出してくれたら嬉しいな。これからもよろしくね。リュカ』
その下には少し雑な字で『話はリュカから聞いた。今度一発殴りに行くからな!クラウス』と一文書かれていた。……覚悟しておこう。
小包の包装を剥がすと、そこにはヒツジの毛で作った、手のひらサイズのどせいさんのぬいぐるみが入っていた。
「そのぬいぐるみが手作りなのかい? とても器用なんだね。今度こちらの世界に来てくれた時には、是非手合わせしてみたいよ」
それを見たルフレが、感心したように、言葉を漏らす。僕は本人でもないのに、自信たっぷりでこう答えた。
「きっと楽しいよ。だってリュカは僕の自慢の友達なんだから!」